奴豚 牛美の長期滞在型ジプシー生活

2007年からマラソン始めた夫「奴豚」と 妻「牛美」。テーマ:マラソンに出場しながら旅してます

やり場のない怒り

  • 2013/04/17(水) 07:27:29

2010年に幸運にも走る機会を与えてもらって以来、毎年この時期になると あの日を思い出し 楽しみにしていたボストンマラソン。

リマのホステルでベッドに伏せってCNNのニュースを見ていて愕然とした。

何故なんだ、なんてことするんだ。なんでボストンなんだ。
繰り返されるテレビの悲惨な画像。

こんなことが許されてはいけない。
こんな残虐な犯行がまかり通る世の中にしてはならない。

最後の最後まで

  • 2013/04/16(火) 07:37:47

リマに着いて安心したのと気を抜いた為か、ランチで食べたサラダに食当たり。
熱が出て ひどい頭痛に 身体中の骨が痛くて 起き上がれなくなった。

いったい、南米 何度目の腹下しだろう。

せっかくリマでセビーチェを食べようと楽しみにしていたというのに。


7ヶ月の南米旅の疲れだろうか…
もう、この先しばらくは 旅行プランを練らなくてもいいし、宿の手配もしなくてよいので 肩の荷が下りた気がしていた矢先。

最後まで残しておいたリマ観光も これでオジャンだ。


      

         
     (かろうじて見て回った旧市街)


17日の深夜発の北米行きに乗る為、回復に務めよう。

鳥人

  • 2013/04/14(日) 02:44:43

喜び勇んでカハマルカに戻ったが滞在は二泊でリマ行きのプロペラ機に乗り込んだ。

南米で格安航空券を手配すると ほとんどの場合 往復購入が条件、片道の方が高い。で、飛行機に乗る為に戻ってきたのだ。


7時発、ラン航空のジェット機の隣に隠れるように並んでいるLCペルー機。そのあまりの小ささに愛着が湧く。(それにしてもあんな短い滑走路にジェット機が降りられるとは思いもしなかった。)
出発準備も搭乗手続きもすぐ済んで お先に失礼とばかりにラン航空を出し抜いて先に離陸。どーせ途中で抜かされるんだろうけど、あちらはジェットだもん。


プロペラ機の楽しみは飛行高度が低いので地上の景色が良く見えることではないだろうか?

8千メートル程の高さからペルーの山々を眺める。
すごい山々だ。さらに凄いのはその山の峰や尾根、急斜面に建つ家々。あーんな所に人が住めるのか? どんな暮らしなんだ? 
水は、食料は、電気は、医療は、移動は、いったいどうしているんだろう?
         
(上の写真は比較的なだらかな山並み。墨絵のようだった。)




実は鳥人類なんじゃなかろうか。皆んな飛べるんだよ、きっと。
そう思っても不思議ではない高ーい山の上に家がある。驚いた。
あそこで生まれたら一生あそこで過ごすんだろうか。

家があるのは緑が生い茂る山だけで、岩ゴツゴツの枯山にはなかったから、雨水や湧き水が確保出来、家畜の餌になる植物も生えているのだろうが 厳しい暮らしに違いないだろう、と 感心していたら、機は定刻にリマに着いた。

ミラフローレス地区の宿へ。やっぱ 都会は楽だわ。

      

着々と整備がすすむ海沿いの大規模レジャーエリア 計画。道路やスタジアム、遊歩道にサイクリング道路、ジョギングコースやテニスコートに遊園地。あと数年でリマはすっかり垢抜けるだろう。

      



飛んで来た辺りの地形をGoogleマップで見ると、山を縫うように道が記されている。それも悪い冗談の様なグルグルギザギザ悪戯書きのような道。これじゃあ絶壁から谷底へ落ちる事故は絶えないだろう。
ニュースでバスの事故を知る。カハマルカに近い所だった。

さらに、チクライヨでペスト非常事態宣言が出されるようだ。
無理もないよ、下水がマンホールからあふれ出していたのだから。
今朝の腹下しが気にかかる。気の回し過ぎか。
最後まで我が柔腹は南米には順応しなかったなぁ。
17日に南米大陸から離陸。心底嬉しい。

走れない

  • 2013/04/12(金) 13:06:41

4月12日 カハマルカ。

せっかく山へ戻って来たのだからと 嬉々と 郊外から 宿へ10キロのジョギング。


      


おぉ いるいる、バカ犬達。 一匹吠えると ご近所皆んなが吠え始める。
遅れを取るまいと 遠くから走って駆けつけて来る奴までいる。
… が、我々の横を素通りだ??? 訳もわからず 参加しに来たってわけか。間抜けな奴め。
我々も容赦 手加減せずに棒で叩く事にした。向かって来る鼻っ面に一撃。
「キャイーン、ヒィーン」そらみたことか。ザマァミサラセ。


身体が重くて 10キロが辛いぞ。まずいなぁ。標高は2700mではあるが、アイスクリームの食べ過ぎか? 怠けたからなぁ…。。走りながら色々反省。

『もうアイスクリームはやめます。マラソンまで禁酒します…』と心で誓う。



オラ 山さ けぇるだ

  • 2013/04/11(木) 07:32:33

チクライヨ から カハマルカへ戻る リネア社バスは午前10時発。

早めにバスターミナルに着き荷物を預けた。
もう思い残す事は何もないぞ。

            カハマルカへ戻るのだ。 『嬉しい』
             たとえ カハマルカが雨でもだ。

二階建てバスのパノラマ席(一番前)に陣取り 6時間強の旅も チクライヨを出ると思うとウキウキする。


バスは小さな町をいくつか抜けて、山が見え始めた。

あの高い高い山のそのまた向こうの山を越えていくんだ。




       




   「 おいら、お山へ帰るんだ   」



博物館めぐり

  • 2013/04/10(水) 14:08:39



    博物館めぐり



Museo Arqueologico Nacional BRUNING 

Hans Heinrich Brüning氏の名前を冠したブルニング博物館

ランバイアケのシパン王墓博物館から数ブロックのご近所にある。
ここは主に出土品のセラミック壺類や宝石、金銀細工品の展示。
当時の暮らしが分かるような生活道具や布などの展示もあり。
王の墓から出てきた秘宝類と骨を展示しているシパン博物館とは少し趣が違う。

   やる気のなかった牛美はカメラを部屋に忘れて行ったので写真なし。





Museo Nacional SICAN 

島田 泉 博士が発見発掘し名付けた シカン博物館

フェラニャフェFerrenafe(余計なお世話だが、ふにゃふにゃした名前だ)の町の端っこに建つ。

タクシーやコレクティーボならチクライヨから20分程度。

シカンとは月の神殿の意味だそうだ。TBSの援助により発掘された墓。




  骸骨に肉付けする過程 

     肉付け完了               で多分こんな外観
                   

ここの展示にはレプリカが多いのだが、実物大模型のようで一目瞭然分かりやすくて良い。本物の人骨はシパン王墓博物館で沢山見たからね。 
           


     最大の謎は、この墓から発見された重要人物の埋葬法である。


  逆立ち状態?

 頭は切り離されて置かれていたそうである。謎は未だに解明されていない。
 置かれた両の腕といい どんな意味があったのだろう。




年代的には、シパン王のモチェ文明が古く、その後にシカン文明、そしてインカ文明と続く。チクライヨはインカ文明以前に栄えた土地である。



               
ピラミッドも沢山あるが、どれも普通の丘のようで言われなければピラミッドとは思わない。土れんがを積み上げ築いたてっぺんが平らなピラミッドである。神殿や住居になっていたと思われている。
そんな小高い崩れかかったピラミッドとは思えない山や丘が ここいら周辺に何十とあるのである。


古代の神秘に惹かれる人には 是が非でも来てみたい場所でしょ?
そんな場所にいながら 嫌いだ来るんじゃなかったなどと贅沢な不満は言ってはいけないね。


写真右)は インカ以前の壁画にも登場するヘアレス(毛のない)犬。
博物館をうろついていた。人相(犬相?)悪いけど。。。


考古学の町 CHICLAYO

  • 2013/04/08(月) 07:04:24

チクライヨ。 はっきり言おう  "好きな町ではない。"

博物館見学目的がなければ 端折ってしまっても後悔しないかもしれない。が、これも来なければわからないのだ。


遺跡、考古学、人骨、秘宝、ピラミッド、 これらを聞いて心がときめく人には欠かせない場所であるが。

もともと美術館・博物館が嫌いな奴豚には辛い場所だ。

到着当初は「食事の選択も多いし店も沢山でいい町だ」と発言した奴豚も三日目あたりから「リマへ帰りたいね〜」と漏らすようになった。
我慢強い牛美でさえ毎日土埃に巻かれ、マンホールから汚水が溢れ出て下水道の臭い漂う通りに嫌気がさし、『カハマルカが雨でもいいから早よ帰ろうや…』という気持ちになっている。



数限りないバイクタクシー(三輪)がブインブインと駆け巡る、ブレーキを踏むことのない車達、狭くガタガタの未舗装路に汚水が乾いて風に舞い身体にべったり貼りつく町中、chaos(カオス)。
屋台で買い食いはゴメンだし、店を選ばないと腹を下す。(既に二回下している)



カハマルカへ戻るバス券は買ってあるし、カハマルカからリマへの飛行機も変更不可なのだ。
ある意味 北ペルーでスタック状態。じっと時が過ぎるのを待っている日々である。
         こうと知っていたらリマに居るんだった。。。

カハマルカもだったが、ここチクライヨも走れない、まともに走れる場所がない。。走っていたら悪い事でもしたんじゃないかとお巡りさんに捕まりそうだ。仕方なく部屋で筋トレとストレッチなり。ビッグサーマラソンはすぐなのに…。…。…。

      



それでも、

もう二度と来ない場所ならば尚更 精力的に見て回る以外にないだろうと、嫌がる奴豚のケツ叩いて博物館めぐり



宿の側に広い広い市場があるので紛れ込んで迷子になったり、暇にまかせて散髪したり。ヘアカット3ペソ110円なり。
ヘアスタイル写真から選んだ髪型にちゃんとなったぞ。満足。


宿は隅々までとても清潔、掃除がいききとどいて親切なのだが、、、

  宿泊客の皆さんは音楽好きのようで、
 朝は6時半から夜は12時までボリュームマックスなのは何故だろう?
ちょと困る。奴豚は怒って吠えてるし。。。

チクライヨは何かと騒々しい町だ。




(この日記をアップした翌日、ナスカで更なる地上絵の発見が発表された。絵は片方が片方の頭を切っているように解釈されたが、上に載せた壁画の写真もちょん切った頭をぶら下げているものである。ガイドによると戦いに負けた側の王はクビを切られたそうだ。)


CHICLAYO で Museo 見学

  • 2013/04/06(土) 02:27:35

Chiclayo チクライヨに来たのは遺跡と博物館見学の為。


早速お目当ての博物館へ 乗合バスで行ってみた。


それにしても 名称がシパンとシカンで紛らわしいんだ。Sipan と Sican。

今回行ったのは
Museo Tumbas Reales de SIPAN (シパン王墓博物館)

チクライヨ市内からはバスで20分程度、すぐそこの隣町 ランバイヤケ Lambayeque にある。
このランバイヤケの町というのがこれまた騒々しく 特徴も面白みもない所で、これほど立派な博物館を建築したのならば、もっとどうにかプロモートしませんか?という残念な町であった。
町おこしには絶好の条件なのに 観光客も博物館前からタクシーでとっととチクライヨへ戻ってしまう、全く悲しい素通りの町になっていた。



博物館外観。新しく立派。デザインも斬新。なかなかいいぞ。



カメラ禁止。携帯電話も持ち込み禁止で入口でロッカーに仕舞わねばならぬので内部の写真はなし。
ご興味のある方は各自ご検索下さい。
内容は素晴らしく、英語のガイドさんを頼んで1時間半 充分に堪能させてもらった。
展示の説明文はスペイン語のみである。世界に誇る博物館なんだから英語表記くらいつけてくれてもいいものだろうに。。。 ガイド代稼ごうって魂胆かな? ガイド料は別途30ペソ也。


Chiclayo へ

  • 2013/04/05(金) 08:02:21

雨のカハマルカでカビが生えそうだったので チクライヨという町へ移動した。
チクライヨはペルーの北、海からさほど遠くない ほとんど雨の降らない乾燥地帯である。
雨季から乾季へ えらい違い。


バスは 『カハマルカってこんなに山奥だったの?』と再認識させてくれるほど 嫌ってくらいにクネクネ山道をカ〜ブカ〜ブで標高を下げて行く。下りきるまで約1時間半、すっかり乗り物酔いだ。
下ってしまえばあとは普通のアスファルトの道を無謀な追抜きの連続でチクライヨまで合計6時間。


ペルーのコメどころチクライヨ。
さとうきびと米畑の郊外の風景はまるで東南アジアにワープしたようだ。蒸し暑いし、タイかベトナム風。
この地の米は日本米に味が近いらしい。


さて、町に近づくと 道路脇にはゴミが散乱してひどい事になっている。なんじゃこりゃ この大量のゴミ、なんとかした方がいいんじゃありませんか?
ゴミ処理場がないのか、これが処分方法なのか。。。風にゴミが吹き飛ばされてますけど。



チクライヨは1987年に遺跡が発見発掘され、一躍世界的に有名になった町である

エジプトのツタンカーメン以来の大発見だったそうだ。なにより 発掘された墓には金銀財宝がザックザックだったのだそうだ。その後1991年に発掘された墓にも金銀が眠っていたそうだ。(こっちは日本の調査団とTBSの協力)

チクライヨでは、それらの発掘物を納めてある 立派な博物館見学が目的である。
金銀宝石と人骨、文化の勉強なり。



Ventanillas de Otuzco オツスコの墓跡

  • 2013/04/04(木) 14:22:31

Ventanillas de Otuzco


カハマルカの町から乗り合いバスで30分程の所にあるVentanillas de Otuzco オツスコの墓跡を見に行った。



カハマルカは遺跡が町から近いので自力で簡単に行けて便利。


時の流れと共に少しずつ風雨にさらされ崩れつつある墓跡。

こんな小さな穴に埋葬されていたのか、北ペルーの墓はコンパクトだなぁ。小さくたたまれ膝を抱える姿勢だったろうと思われる。



そういえば先日、広大な国土を持つオーストラリアでさえ 埋葬方法を立ち姿勢に変え 土地の有効利用をしてはどうかという提案がなされていたニュースを読んだ。火葬の日本も団地のような(または立体駐車場のような)墓があるくらいだものなぁ。
墓ねぇ、、、子供の居ない我々は先に逝ったもん勝ちだな。。。


話がそれてしまった。


オツスコは道路脇にあり 乗合バスは正面でおろしてくれる。
南米のバスは実に便利。何処でも止まってくれる。道路脇で手を上げれば何処であろうと乗せてくれるし、ここやあそこで降ろしてと言えば 目的地の真ん前まで行ってくれる。安いし。時にはぎゅうぎゅう詰めだけど。



また話がそれた。。。


と言うか、あっけなく見学が終わってしまい これと言って特筆することがないのである。

オツスコは、そういうところである。


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